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カッコいい50代になる為のメモブログ a15655.exblog.jp

おばちゃんなんて言わせない。年齢は毎年変わる背番号♡


by itoko
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中村維子ってこんな人生歩んできました。

はじめまして。



色もファッションも年齢も、もっと自由に!
プロのカラーリストを育てる専門家の中村いとこです。



ここから私の自己紹介をさせてくださいね。



私は今でこそ「カラー講師」「40代からの垢抜け」の専門家として、
2,000人以上の悩める女性のサポートをさせていただいていますが、



元々は3人の息子達を育てる、シングルマザーでした。



そんな私が40代で起業し、
現在はカラー講師としてプロのカラーリストを育て、
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おしゃれに悩み、自信をなくしかけている方へ、
外見を整えることで、自信を取り戻してもらう、そんなサポートをさせていただき、
「毎日が充実しています」
「自分に自信がつき、ウジウジしてた過去がウソのようです」と
嬉しいご感想をいただけるまでになりました。


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クライアント様は

・専業主婦
・ママ起業家
・メイク講師
・整理収納アドバイザー
・インテリアコーディネーター
・WEBデザイナー
・看護師
・教員
・保育士
・パソコン講師

など多様な職種の方がいらっしゃいます。

住まいも私の住む関西にとどまらず、
他府県の方もお越し下さいます。


主に30代~50代の方々に

私が最も信頼している【色のメソッド】と
【外見を整え、自信を生み出すマインド】についてお伝えさせていただいています。



シングルマザーの私がなぜ起業しようと思ったのか?
それは、ただただ3人の息子達の為でした。



私は39歳の時に2度目の離婚をしました。
下の二人の息子達はまだ小学生で、これからも食べ盛り・学び盛り。
「パイロットになりたい」「プロ野球選手になりたい」と将来の夢もたくさんありました。
親の都合で離婚するのに、息子達を大人の事情に巻き込みたくなかったのです。

自分の夢に向かって思いっきり挑戦させてやりたい、
お金がないことで諦めさせたくないと強く思ったのです。

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私がこんな強い思いがあるのは、
私が自分の夢を自ら壊し、違う道を歩んできた過去があるからだと思います。



私の過去を聞いてください。



私は子供の頃からとてもおしゃまな女の子でした。


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母の口紅をこっそり使ったり、
洋服も自分で選んだり、
腰まである長い髪を可愛く結ってくれる母が大好きでした。



小学生になると、
私はおしゃまな女の子だけでは収まらずにとにかく目立つ子になりました。
学級委員は当たり前。
お誕生会のコントでは男の子役をし、サングラスを掛け大ウケを狙ったり、
西城秀樹のものまねをしたり(古っ)
児童会役員の演説ではユリ・ゲラーのマネをし(知ってるかな)、スプーンを曲げて会場を沸かせたり。
本当に元気で活発で自由奔放な女の子でした。


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そんな私の将来の夢は「スチュワーデス(キャビンアテンダント)」になることでした。
キレイにお化粧をして、凜としたたたずまいがとても素敵で憧れていたのです。


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しかし、こんな元気で活発で自由奔放な女の子でしたが、
高校生になると私の人生の歯車が狂い出しました。
いや、自分から狂わせてしまった と言った方が適切かもしれません。


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勉強がとても辛くなってきたのです。
ご存知の通り、高校は同じレベルの子達が集まります。
高校に入る前の私は優等生だったのに
一番初めの中間テストでクラスで真ん中ぐらいになってしまったんです。
人生初めての挫折でした。


そして、優等生ばかり集まるクラスにも馴染めませんでした。
私は自由奔放な性格。

「こうしなければならない」という優等生の固い考え方。
ちゃらちゃらした上部だけの女子同士の付き合い。
男子ウケを狙うわざとらしい仕草。
にどうしても馴染めなかったのです。



1年間は頑張りました。
勉強も友達関係も・・・。



でも、高校2年生になって
今まで抑えてきた「大きな大きな自分らしくないという不満の風船」がはじけてしまったのです。
私は今までの優等生の私という仮面を取り去り、
180度違う世界へと足を踏み入れることになります。


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自校の制服は着ないで、他校の制服をわざわざ購入して着て行き、学校に反発しました。
長いスカートを引きずり、ジャケットは短く詰め、
カバンは教科書を入れるものではなく、ただのアクセサリー。
細く細く縫い付けてペチャンコにしました。
スケバンもどきですね。



こんなにも人って変われるんだ。



学校には行かずに、喫茶店で友達とたむろしていました。
タバコを吸い、化粧してディスコに行き、彼のバイクにまたがりドライブ、
朝帰りなんて日常茶飯事でした。


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こんな生活が楽しい?
楽しいはずがありません。
親に心配をかけ、迷惑をかけているのもわかっていましたから。
リストカットをして母に泣かれたこともありました。
でも現実から逃げるのは、この方法しか思いつかなかったのです。
その当時「不登校」なんて言葉はなかったですから。
「どうせ、スケバンだから学校に来ない」
当時の私はこれで良かったのです。



だから高校時代のいい思い出なんか一つもありません。
私の記憶からこの3年間がすっぽり抜けているのです。
自分で抹消したんだと思います・・・。


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高校生活の3年間は悪夢のようでした。
自分から逃げるってこんなに後味が悪いことなのか・・・・・
だから、今も夢を見るんです。
「明日中間テストなのに、何も勉強していない・・・」夢
「階段を猛スピードで駆け下りる」夢



こんな高校生活で大学も行けるはずがありません。
進学校だったので就職したのは全校で私含め2人だけでした。



あんなに憧れていた「スチュワーデス」には
もちろんなれるはずもありません・・・。
遠い遠い雲の上の夢になってしまいました。



勉強がイヤ、環境が馴染めない、という大きな壁を 自分で作りあげてしまい
自分で夢を壊してしまったのです。


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でも私は一瞬這い上がりました。
心配をかけ続けていた両親への償いの気持ちもあり、
「資生堂」に入社しました。



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さぁ、これから頑張るぞ!!
そんな時、妊娠に気付きます。
まだ研修期間でした。
毎日満員電車に揺られたせいか私は切迫流産で絶対安静の入院を余儀なくされ、
資生堂をとるか、子供をとるかになり、
私は子供をとり、そのまま資生堂を退職し結婚しました。
18歳でした。



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男の子を授かりました。
でも、「ままごと」のような結婚生活は長くは続きませんでした。
若くしてパパになった夫は、責任ある現実の世界より
可愛い年下の彼女と遊ぶことを選び、私と息子を置いて出ていきました。





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私、23歳でした。



私って幸せになったらあかんのかな?
運命を呪うというより、ただ悲しかったし不安だった・・・。




これからこの子を一人で育てていかないと・・・。
息子は4歳になったばかりでした。

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夜のお仕事なら手っ取り早い!!
でも、私は息子の為にお昼の仕事を探しました。
ちょうどその時、新聞の募集欄にあった、
資生堂の中途採用募集記事が目に飛び込んできたのです。



私はわらをもつかむ思いで履歴書を書きました。


何としても合格してやる!!!
だから私は子供がいることを内緒にしました。
子供がいるから合格しないといけないのに、
子供がいるから不採用になりたくなかったのです。



そして、見事合格しました。
全てがバラ色に見えました。
これで何とか生活できる、まともな生活ができる・・・。


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私は上司にも恵まれました。
子供がいると知った上司は私を叱ることもなく、
土日休みのお店に配属してくれました。



私はそんな上司に恩返しするかのように数々の記録を作りました。
売り上げも達成し続け、メイク部門でも近畿代表になり全国大会まで進みました。




そんな絶頂期、私はまたもや逃げたくなったのです。
プレッシャーに押しつぶされそうになり、
シングルマザーで子育てと仕事の両立に疲れ果てていたのです。


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私は自分より大きな壁が現れると、
その壁の向こうには、まだ見えない素晴らしい世界があるとも知らずに違う道を選んでしまう・・・
そんな小心者だったんです。



私は2度目の結婚に逃げました。
仕事も正社員から契約社員となり、責任から逃避しました。



そんな私からは子供の頃の
あの元気で活発で自由奔放なキラキラした輝きなんてとっくに無くなっていたのです。
自分に自信もなく、ただ何となく目標もなく生きている・・・そんな自分が嫌でした。



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私は2人の男の子を授かり、3人の息子達の母になっていました。
私31歳になりました。


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平凡な普通の家庭でした。
夫も子煩悩でそれなりに幸せだったと思います。
私はこの平凡な家庭にいつしか慣れていきました。



そんな中、事件が起こります。
夫の事業が失敗し借金地獄に陥ったのです。


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2度目の離婚を決意するしかありませんでした。
夫の借金で家まで失う可能性があったからです。
私のシングルマザーの生活がまた・・・始まりました。
私は39歳になっていました。



自己破産した夫からはお金の援助なんて一切ありません。
これから先・・・私一人の力で子供達を養っていくしかなかったのです。



でも、このとき私は自分に誓ったのです。
子供達の為にもう絶対逃げない!!



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どんな事があっても
この子達を守ってみせる!!

もう逃げない、
自分に負けない!!

人生をあきらめない!!

この気力と子供達が私の支えになりました。




それから私は必死で働きました。
資生堂がお休みの時は、シフトの融通のきくUNIQLOやレストランで内緒でアルバイトをしていました。
休み返上で子供達の為に一生懸命働きました。



それでもお金が全然足りないのです。



パン屋さんで食パンのヘタを10円で買ってきて
油で揚げて砂糖をまぶして子供達のおやつにしたり、

自分の食事は作らないで、
子供達が残したらそれを食べるだけというのが
当たり前の私の食生活でした。


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これでは子供達を養っていけない・・・
ごはんはどうしよう・・・
学校はどうしよう・・・
子供達の夢はどうしよう・・・


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このときです・・・。
「何か手に職をつけよう。これしかない。」と思ったのです。
それが「色」との出会いでした。
お客様にメイクを施しているとき、
「お客様によって似合う色が違う・・・なぜ?」と
心のどこかでずーっと考えていた私がいたことを思い出したのです。


それに私はおしゃまな女の子だった。
幼い頃からキレイで可愛いものが大好きだった。


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でも、学校に行くお金もない・・・
仕事も休めない・・・
どうしよう・・・どうしよう・・・



お金が無ければ借りればいい。
仕事が休めないのなら夜間のスクールにいけばいい。
天からの声が聞こえたような気がしました。


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仕事に行きながら学び、頑張っている私の姿を見て
三男が書いてくれた手紙が今でも私の宝物です。


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その反面、不安もたくさんありました。
こんなに借金したけれどこの資格で食べていけるのかな?
借金返していけるのかな?



不安は的中。
カラーコーディネートを学んでも、
色彩検定1級に合格しても、
仕事には繋がらなかったのです。


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無知な私は色を学べば何とかなると思っていたのです。



でも、私は諦めませんでした。
「どうしたら仕事に繋がるのか」考えました。
私には他の道なんか考えられませんでした。
寄り道をする時間なんてもう私にはなかったのです。

そして、【パーソナルカラー】に出会ったのです。

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私の求めているのはこれだったんだ!!と思いました。



それからパーソナルカラーを学びました。
するとご縁をいただき、
専門学校でカラー講師のお仕事をもらえ、
パーソナルカラー診断のお客様も増えました。
全てがうまく回ってきたと思えました。


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そんな絶頂期、私の診断に迷いが出てきました。
本当にこれで正解なの?
当時、4つの型にはめる4シーズンパーソナルカラー診断が当たり前でした。
でも私には疑問だったのです。
こんなに個性があるのに4つだけ?



生まれながら持っていた私の自由奔放な性格が蘇ってきました。
そんなときに出会ったのが
【グラデーションカラースケール®】だったのです。
【型にはめないオーダーメイドのパーソナルカラー診断】

私は診断を型にはめないことで、
自分らしさも取り戻すことができたのです。



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私は既に50歳を過ぎていました。

それからの私は水を得た魚のように、
自信をもってお客様に提案できるようになりました。
講師の資格も取り、教え子もどんどん増えました。


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借金も返済し、
子供達も立派な大人に成長してくれました。



資生堂で学んだメイク技術を活かしてメイク講師にもなりました。


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洋服も大好きだったので
スタイリストの勉強もしました。


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あの おしゃまで元気で活発だった女の子は、
35年後、やっと本来の自分を取り戻せたのです。


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39歳、これから先どうなっていくか不安だらけだった私と
色とメイクとファッションで自分らしく生きている56歳の私。



誰から見ても違いは一目瞭然でしょう。

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おしゃまで元気で活発だった女の子どんどん変わっていきました。
それが自分の自信となり、人生もどんどん好転していったのです。


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自分の思っていた人生を歩むのに とても回り道をしてしまいました。
でも、私は【全ての出来事には理由がある】という言葉を信じています。


スケバンもどきになって学校に反発したことも
18歳で結婚したことも
子供が3人いることも
資生堂と出会ったことも
二度の離婚を経験したことも
カラーリストになったことも


そして、回り道をしてきたからこそ、


【人生は自分で作っていくもの、人は絶対に変われる】
ということを身をもって学ぶことができました。


私は自分が回り道をしてきたからこそ、
最短で優秀なカラーリストになれるノウハウを知ることができました。
これをカラーリストに憧れる人に伝えたい!!
そして、仕事にして欲しい!!
一人でも多くの人を色の力でキレイにして欲しい!!


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そして、
自分に自信がなく、一歩踏み出す勇気が出ない人がいたら
「一緒に頑張ろうよ!! 私がそばにいるから」と言ってあげたい。
その一歩で人生が変わることを私は知っているから。



【全ての出来事には理由がある】


だから、
私と出会うことで【人生が前向きに変わった!!】と言ってもらえるような、
そんな化学反応を起こせるような存在になれるように頑張りたいのです。


若いときは、辛くても悲しくてもいいと思う・・それが学びだから。
人生の後半戦に笑うための準備だと思えばいい。


でも、人生後半戦に諦めたらダメなのです。
笑わなきゃ。


年齢を自由に生きている、
自分に自信を持って前に進んでいる、
そんな笑顔の女性を増やしていきたい。



私と一緒に笑顔になりませんか?


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最後までお読みいただき、ありがとうございました。


by a15655 | 2019-11-30 14:34 | 中村維子プロフィール